昭和47年10月14日、東京地方裁判所第701号法廷では検事が険しい表情で起訴状を読み上げていた。「被告人、石山太一は被告人筈見絹子とひそかに情を通じ……」
前年2月、東日新聞社の馬場政治部長は沖縄返還交渉の焦点となる外務省にキャップとして石山太一記者を送り込んだ。政府は加藤総理大臣の引退の花道として沖縄返還交渉を成立させたかった。日本側は基地の旧地主など個人に対する損害補償をアメリカ側に請求していた。しかしアメリカは沖縄返還に際しては国民の税金を一切使わないと議会で約束しているため、日本の主張は認められないと交渉は難航していた。そこで考え出されたのが、日本政府が請求権を全面肩代りするというものであった。石山は確実な情報を何とかして入手したかった。私鉄ストの日、石山は外務省の女性事務官の筈見絹子を食事に誘った。 6月9日、パリで開かれた愛川外相とドジャース国務長官との会談で、請求権問題はアメリカ側が自発的に支払うことで解決、沖縄に関する交渉は一切終了したと発表された。
毎朝新聞に独走スクープされて頭に来た馬場は石山を呼びつけたが、石山は日米間に“密約”の事実があると言って外務省の極秘電信文のコピー三通を取り出して見せた。それは日本側が請求権を放棄、表向きアメリカ側が支払うと言う内容であった。 6月17日、沖縄返還協定が調印された。法廷で、石山はニュースソースが秘匿できなかった事を絹子に詫びたが、新聞記者として行った取材活動を犯罪とする点について到底納得出来ないと訴えた。
